公開日 2025年4月5日
姉に預かった2025年4月3日付の手紙より
わたしには、裏切らない友、がいる。
だから、わたしも、そうする。
ある時、わたしは複数人に囲まれた。
そして皆、わたしに問うてくる。
同じ事について。
不機嫌に。
わたしは、答えた。
次の問いにも、同じ問いに何度も。
けれど、波はますます高く、そして黒くなっていった。
わたしは、答えつづけた。
この目で見たこと、この耳で聞いたこと。
身をもって確認し、知るようになったことを。
わたしは、真実を述べた。
何度も、同じ答えになった。
そして、矛盾は、なかった。
相手は入れ替わり、また問う。
けれど、わたしは、ひとり。
毎回、心の選択があった。
しかめっつら、攻撃的な目、軽蔑の半笑い。
そして、無言でファイルを閉じ、目も合わせない検事など。
多職種の多数。
心の選択が、つづいた。
そして、ささやきも。
「皆が嫌がる事は言わなくていい」と。
けれど、わたしは知っている。
「コト」ではなく、「真実」であることを。
そして、その多数が、真実を嫌がっていることを。
わたしは、いもん はんじ。
被害者を見舞い、なぐさめる判事。
そして、真実を自らの命よりも尊ばなければならない。
これが、誠の裁判官。
被害者は、数ではいつも、劣る。
しかし、数に左右されないのが、真実。
その姿に、わたしは、ひかれている。
そして、そこには、数に勝る力が、ある。
多くの友がいるとしよう。
だが、よく見ると、本当は仲間でもない。
わたしは、裏切らない一人の友を選びたい。
だから、あの多数に、合わせなかった。
わたしは、誠を裏切らなかった。
わたしは、真実を述べた。
半月程が経った。
わたしは、妹のいる4畳半に戻れると思った。
監視されたビニール臭い4畳半を出る日が来たから。
しかし、多数は、わたしをよりひどい4畳半に閉じ込めた。
中世のほら穴と言うべきだろうか。
のどが渇いても、水はない。
朝に、顔を洗うことも許されない。
夜には、懐中電灯の光線がコンクリート壁で動く。
色々と、血の跡の付いた壁を。
そして何より、1日に数回洗うべき手が、何日も洗えない。
いったい、ナイチンゲールさんの尽力は、何のためだった。
白衣を着たその人々の衛生意識は、どうなっている。
午後2時、ここに幽閉された。
そして、初めにすぐに、また問われた。
わたしは、少し弱い声で、また真実を述べた。
その少し後に、約10人に増えた。
そして、まっ白い衣服のそれらは、わたしに不正に注射を打ち、
すぐに、この監禁部屋を後にした。
5分ほどすると、全身の力が抜けていった。
さらに、わたしのろれつは、回らないほどに。
結束バンドの付いたマットレス。これに横たわる他なかった。
ここにあるものは二つのみ。
無論、ナースコールもない。
苦しみの中、父を思い出す。
グラウラーの電磁波攻撃を受けた父を。
それにより、非感染型脳炎が引き起こされたあの2月。
父の苦しみが、看病したこの身の脳裏に戻ってきた。
苦しみをうまく表現できなくなっていた父と、その弱った姿が。
そして、奇跡的な回復。
それが、横たわる私の一番の励みに、
お父さんが通った苦しみに、励まされた。
体はもう、動かない。
だけど、心は、迷っていない。
真実の言葉が、こだまする。
「ひとりではない。」
深い眠りに、朝が来た。
身体の著しい脱力感と頭の濃い霧。
抜けないまま、午後に、見知らぬ医者が体調を尋ねる。
わたしは、父の言葉を思い出していた。
そして、言った。
「わたしは、嘘をついて生きながらえるよりも、
真実と一緒に死にたい。」と。
二度、このように言った。
軽すぎる「なるほど」が、地に落ちた。
何時間も何時間も、誰も来ない。
静けさとわたし。
今まで、真実を述べたことが、唯一に正しかった。
長い静けさの中、わたしの心は、穏やか。
そして、ひとりではない。
わたしの友、真実が一緒。
詩「わたしの友」
くまな ゆりこ
2025年4月3日